アザ持ちのキモチ

単純性血管腫を持って生まれてもうすぐ40年。アザがある人生って今の所こんな感じ。

私の生い立ち

私はおよそ40年前くらいに生まれました。

顔にアザがある私を見た母は申し訳ないと思ったそうです。

母方の祖母は火事を見るとアザのある子供が生まれると言うから、妊娠中に何処かで火事でも見たんじゃないかと話したそうです。(全くの迷信です。)

 

生まれて物心つく前からレーザー治療を始めました。当時レーザー治療は保険適応ではなく、臨床研究の段階だったので、臨床研究に参加することで、治療を受けられたと母親は話していました。

レーザー治療を続けつつ幼稚園、小学校、中学校を過ごしました。

周りの環境に恵まれて、顔のことでイジメられる事もなく過ごしました。

レーザー治療は中学校でやめることにしました。この頃から治療後もあまりアザに変化は無く、また、運動系の部活に入ったので、治療のせいで部活に参加出来ないのが嫌だったからです。(今思うともう少し根気強く続けて置けば良かったかも。)

高校に入り、そこでも環境に恵まれで顔のことでイジメられること無く過ごしました。化粧などは全くしませんでした。

 

大学に入り化粧をし始めましたが、一般の人が使う化粧品ではアザを隠すことが出来ませんでした。その時初めてカバーメイクという言葉を知ります。

その当時はオリリーのカバーマークが一番有名だったのですが、まだネット通販が盛んではない時代だったので、ネットで調べた取扱店に出向いて色合わせをしてもらい、購入しました。

現在はマーシュフィールドの商品を使っています。

大学からは化粧をし始めたので、アザが目立たなくなり、普段は気にすることも無く過ごせました。

一番嫌だったのが、ゼミのメンバーで毎年一泊で旅行に行くことでした。どうしても化粧を取らなくてはならないので。

皆気を使って指摘されたりはされなかったのですが、それはそれで気を使われているのがわかって嫌でした。

 

そんな訳で、就職は絶対社員旅行や泊まりの新人研修が無い所を選びました。

 

今の旦那とは大学で出会いました。自分はこんな顔だし、恋人も出来なければ、結婚もしないだろうなーと思っていたのですが、運が良かったのかもしれません。

最初私は化粧をしていたので、アザがあると知らなかったと思います。

泊まりで旅行に行ったとき、アザがあることを言ったら、「ふーん、そうなんだ。別に関係ないじゃん」と言われました。

そういうもんなんですかね…。

その後旦那と結婚し、旦那の地元で就職。数年後に妊娠して出産し、現在育児の真っ最中です。

 

子供にアザはありませんでした。遺伝性の病気ではないのですが、心配していました。

やはり、アザが無いに越したことはないですから。アザのある人生、それなりに楽しく過ごしてきましたが、アザが無かったらと思ったことは何度もあったので。

 

長々と書いて来ましたが、振り返ると何の変哲もない普通の人生にちょっと人とは違う悩みがあるくらいな感じですかね(汗)

ここまで読んで下さってありがとうございます。